本当に英語が話せる必要がないと思ってる?
どうも。断食に興味があるまくろ(@makuroblog)です。
最近こんな製品を見ました。
なにやら翻訳機への開発技術が向上し、未来では英語が話せなくても翻訳機を駆使してはなせる時代がくるようだ
それに感化された影響か、英語は話せる必要はないととらえている人がいるようだ
正直、バカバカしいと思う。
英語はマストになりつつある
人は学歴、肩書き、資格、免許など人は生きていく上で様々なオプションを取得していく。
できることなら東京大学に進学したいし、大手企業に就職して、いけてる大人になりたい。
それでも大学に行かない人もいれば、無職の人もいる。
別に大学に進学しなくたって生きてはいけるが、高学歴のほうが生きやすい国が日本だ。
そうやって人は目の前にある選択と決断を繰り返し、人生においてのオプションを獲得して人生をイージーにしていく。
知らず知らずのうちに人が差別化されるのが日本社会だと思う。
学歴フィルターなんかが顕著な例だ
一昔前には英語はオプションだった
昔の日本ではきっと英語が話せると人より優位に立てたのだと思う。
単純に英語が話せる人が少なすぎたのであろう。
そんなの当たり前だ
今ほど英語学習の必要性もなかったし、グローバルなんて言葉も使われていなかった。
しかし、そんな時代から何年も経過し、英語の必要性は国単位で変わろうとしている。
英語の教育についても改良が重ねられている。
2020年にはセンター試験もなくなってしまう。
いまの小中学生は大学を卒業する頃には英語が話せるような時代になっているかもしれない。
そうなった時、僕たちの価値はなんだろう?
英語が話せないという理由だけで第一線で働くことができなくなるかもしれない。
ただ、ここで勘違いしてほしくないのが、別に"ネイティブレベルになろう"というわけではない。
もちろん、こんな記事を書いている私も完璧な英語が話せるわけではない。
1人で旅行ができたり簡単なコミュニケーションが取れるレベルだ。
それでも僕は"英語は話せますか?"と言われたら"話せます"と答えている。
大事なのはコミュニケーションが取れること
それでも人によっては僕は英語が話せない部類に入っていると主張する人もいる。
ただ目的と目標を履き違えないでほしい。
失敗を許さない完璧主義がほとんどの日本では特にそうだ。
別にTOEIC900を目指す必要は一切ない。
英検1級を取得しろと言うことはない。
得点という数字はあくまで目標なんだ。
英語を学ぶことの目的はあくまでコミュニケーションがとれるようになり、新しい世界を感じること。
得点を目的にしているとスピーキング能力が身につかないのは明らかだ。
最後に
いかがでしたか?
なぜだか若い人の多くは英語学習の必要性を感じながらも何かしらの理由をつけて避けているような気がします。
英語を勉強と捉えるのではなく、コミュニケーションのツールとして捉えて頂きたいですね。